2007年11月20日火曜日

銀座でのステップ。


銀座という街は僕にとって昔からの憧れであり、散歩したりウィンドウショッピングしたり飲んだり食べたりしたかった所です。ハイソな雰囲気が漂いつつも日本の一番上品に立ち回れる歓楽街として僕は一目置いています。それなりにプライドのあるキャストの皆さん。そして成功を祝いグラスを傾ける起業家、接待に明け暮れる営業マン・・・etc 飲み方・立ち回り方は人それぞれでそんな雰囲気の中に身を投じている自分が大好きでもあります。
座って5万以上するクラブから立ち飲み屋まで揃っている強いて言えば格差を身をもって感じることのできる場所。ここ数年、日本人社会の銀座にも中国系・韓国系・外国のお店も増えてきました。僕は非常に残念だと思っています。決して外国人が嫌いなわけでは無く、銀座という場所は和風歓楽街の最後の砦と思っているからなんです。六本木に幾ら外国人パブができようとも、上野に中華系クラブが幾らできようとも別に問題は無いです。銀座は、銀座だけは生粋の東京が好きな人たちの日本人が楽しめる場所であって欲しいなあなんて思っています。
確かに銀座という場所はお金持ちが集まり、一晩何万円も使って飲んだり騒いだりしてるところなんです。キャストの皆さんは勉強して今日の接客に備えたりするわけです。中には勉強すらせずにセクシー路線一直線な方もいらっしゃいますが、僕が求めている事は・・・やっぱり情報ですね。銀座でしか手に入らないおもしろネタや時事ネタ。横の繋がり縦の繋がり無くして銀座での遊びはあり得ません。もちろん現金も必要ですけど。あるクラブのママさんが「最近羽振りが良いのはIT関係・金融系(出会い系管理会社・サラ金)」と行ってました。昔ならゼネコンや製薬会社の接待で官庁の役人さんが美味しい思いをしていたそうなんですけど、一連の騒動でめっきり減ってしまったようです。
僕の立ち回り方・・・どうなんでしょう?銀座にはたのしみで行ってるんです。そんな中で良いご縁があったら良いなあなんて思っています。どの世界でもそうですけど、こちらが心を開けば打ち解けやすいんですけどね。キャストの皆さんはお上手ですから、僕なんて軽〜〜〜くあしらわれちゃいます。肩肘張らず等身大の自分で接して居るんですけどね。なかなかステップは上手く踏めないようです。

2007年11月19日月曜日

命の重さは21g?


映画21gを何回か観ました。死ぬ瞬間に人間が失うといわれる21グラムをめぐる人たちの物語です。本当に21g無くなるのでしょうか?命の重たさは誰も平等なはずなのですが、命を粗末にする人、大事にする人それぞれです。僕の体重の21g分は命の重たさなんですね。
母を看取った僕としては自分が死の淵に立っているときに聞いて欲しいことがあるんです。病気で闘って闘い抜いて来る果てにある「死」という物が近づいてきたとき、僕は死が近づいているのを理解しているのか否か?ある一瞬を境にして生と死が分かれます。死の直前まで「死」という事柄が僕には理解できているのか?とても考えてしまいます。人間は産まれた瞬間から「死」に向かってひたすら人生を歩むわけです。それが長ければ大往生と言われ、早すぎれば「早すぎる死」と言われます。どれだけ生きれば何も言われないようになるのでしょう?それって他の人々が勝手に決めていることなんですよね?僕が思うに自分が納得したり充実したと思えればそれが「良き死」なのでしょう。僕は無宗教で「神」という存在を信じていません(否定はしないですよ)神という存在を信じないのは「神を信じ始めたらキリがないから」って思うんです。世界中で行われている宗教戦争、それに付随した代理戦争。いろんな神様って存在があるから領土問題・個人的価値観によって争いが起きていると思っています。「神」に頼る人々・・・どうなんでしょう?僕は勝手に信仰深い人たちは信仰していれば良いわけで、僕に勧誘とかしてこなければ良いと思います。すっごい便利な神だって居ます。本堂が老朽化したからお布施を集めるときだけに存在する「神」とか、お金が絡むとヒョッコリ存在感をアピールし始める「神」とか。笑っちゃいますよね?
あくまでも僕個人の考えですけど、神を信じてる人は救いを求めている人(弱い人)。自分に信念や希望や挑戦すると言った気持ちがあれば自分の力や経験を信じて前に進めるわけなんです。 「そんな強い人ばかりじゃないよ」と言うかもしれませんが「神」が心の支えになるよりは「友」や「夢」が心の支えであったって良いんじゃないかと思うわけです。僕は決して信仰者に対して中傷したりすることなくお付き合いさせて貰っています。彼らは彼らなりの考えや気持ちがあって信じているのだろうし。僕は今日も明日もずっと自分のスキルを磨いて自分の納得する道を選び続けることでしょう。だって頼れるのは自分しかないのですから。